ノルウェー国立バレエ団で、妊娠・出産を経験しながらもプリンシパル(バレエ団のトップバレリーナ)に復帰した西野麻衣子さんのインタビュー後編をお届けします。前回の記事で西野さんは、共働きの両親に経済的、そして精神的に支えられ、夢を追いかけ続けることができたと語ってくれました。
 今回は、夢を追い続け、トップダンサーである自分を維持するために、どんな困難を乗り越えてきたのか、その経験を通して学んだことや息子に伝えたいことは何かについて伺いました。

西野麻衣子
大阪生まれ。6歳よりバレエを始め、橋本幸代バレエスクール、スイスのハンス・マイスター氏に学ぶ。1996年、15歳で名門英国ロイヤルバレエスクールに留学。19歳でノルウェー国立バレエ団のオーディションに合格し入団。2005年、限られた人しか到達できないバレエ団のトップ「プリンシパル」に25歳で抜てきされる。同年、『白鳥の湖』で見せた踊りが高く評価され、ノルウェーで芸術活動に貢献した人に贈られるノルウェー評論文化賞を受賞。現在も、同バレエ団の永久契約ダンサーとして活躍中。家族はノルウェー人の夫・ニコライさんと長男・アイリフ君(2歳半)。オペラハウスで芸術監督をしているニコライさんとは劇場で出会い、結婚した。

―― ドキュメンタリー映画『Maiko ふたたびの白鳥』の中で授乳しているシーンがありますが、妊娠、出産による体の変化、疲れなどはありましたか?

西野  体の変化はありました。息子がおなかにいてくれたからこその変化をエンジョイできました。生まれて初めて体重がものすごく増えたし、胸もお尻も大きくなって体のシェイプが変わりましたから。ただし、復帰後は、早く元の体に戻さなければいけなかったので、産後5~6週間でレッスンに戻りました。

 私は一般の出産後の女性に比べると、ずっとこの世界にいるので体力的にかなりタフだと思います。バレリーナは体の痛みを無視してする仕事でもあるので、痛みにも強いです。とはいえ、産後は胸が張り、母乳をあげながらのレッスンにはかなり疲れました。食べても食べても、お乳から息子に栄養を吸い取られて。これまでの人生で、最も疲れていた時期でした。

映画『Maiko ふたたびの白鳥』より
映画『Maiko ふたたびの白鳥』より

―― 当時は、どんな毎日を送っていたのですか。

西野  朝9時からずっとトレーニングで、体の痛みと共に帰宅。帰るときには、お乳はパンパンに張っていました。授乳したら普通はそこでリラックスできるのでしょうけれど、レッスン後の疲労で体が痛くて眠れないんです。だから、次の朝も疲れが取り切れていない。でも、また9時にはレッスンが始まる。

 そんな中で、どれだけ疲れていても復帰に向けたプレッシャーがあったから続けられました。あれから2年ほど経ちますが、いったい自分がどうやってそれを乗り越えたか思い出せません。『白鳥の湖』で復帰するという大きな目標を決めていたからできたことだと思います。人間ってゴールを決めたら、そこにだどり着けるようすごい力を出せるんですね。