「今までのキャリアを生かせば、フリーで仕事をしたり、起業したりすることだって夢ではないかもしれない……」。そんなDUAL読者の“夢”にお応えするため、「ママ起業」を特集します。実際に会社員から起業という選択をした4人のママを取材しました。今回は「都会から地方に戻って起業した」パターンに焦点を当てます。専門家から、ママが地方で起業するときの注意点も詳しく教えていただきました。第4回の今回紹介するのは、東京の大企業の営業ウーマンとして腕を鳴らした女性です。「何か社会に対してよいことをしたい」という一心で会社を辞め、同時に結婚・妊娠。その後、夫の実家がある静岡に移住し、起業。一言では語れない、起業ママのリアルな姿に迫りました。

【“地方起業ママ”になる掟・特集】
第1回 ママならではのマーケティング ヨガ教室で成功
第2回 沖縄に移住 両立の方法を見出したコンサル・ママ
第3回 東京から岩手へ 夢を語って人を動かす起業家ママ
第4回  『人の役に立ちたい』と静岡で起業 離婚して東京へ ←今回はココ
第5回 男性は“戦う起業”、ママは“育む起業”

最初は地方の自宅で開業。今は霞が関に本社を置く企業の社長に

株式会社ソーシャルサービス社長の白形知津江さん
株式会社ソーシャルサービス社長の白形知津江さん

 すらっとした長身に、色鮮やかなワンピース。会社経営者の風格が漂う株式会社ソーシャルサービス社長の白形知津江さん(43歳)。同社はシニア向けの各事業を展開し、月刊誌『どきどき』を30万部発行するほか、広告・コミュニケーション事業、ウェブサービス事業など様々な角度からシニア層をサポートしています。

 「この10年で本当にいろんなことがあったんですよ」。底抜けに明るい笑顔でこう語る白形さんは、9歳と11歳の娘を持つ都内在住のシングルマザーです。今年で創業11年目。長女が0歳だった05年11月、移り住んだばかりの静岡市で自宅開業したのが始まりでした。

 「0歳のうちに起業すれば、娘と一緒に会社も成長していく気がしたんです。子どもがいるからできなかった、と私が後悔していたら、子どもがかわいそうだと思って。子育て中でも地方にいても、やろうと思えば何でもできると確信していました」

 この約10年間、ビジネスも私生活も山あり谷あり。出産、起業、法人化、切迫早産、東京進出、別居、離婚、事業変更……。まさに疾風迅雷の勢いで駆け抜けてきました。でも「谷があったから這い上がれた」と振り返ります。紆余曲折を経て、現在は霞が関に本社を構える企業の社長。約30人のスタッフを率いるリーダーとして成長し続けています。

東京では電通の営業ウーマン。与論島との出合いが人生の舵を切るきっかけに

 そもそも白形さんは東京生まれの東京育ち。静岡市に移住する前は、大手広告代理店・電通の営業ウーマンとして全国を飛び回っていました。転機が訪れたのは30歳のとき。新聞広告の仕事で与論島を訪れたことがきっかけでした。

 島のために生きる。島民のために仕事する。

 目の当たりにした島民達のそんな“生きざま”を見てはっとさせられたといいます。

 このままで、自分は人のために生きられるのか―――。

 そのことが人生の舵を切る大きなきっかけになりました。

 “思い立ったら即行動”が信条。東京へ戻ると、現役で活躍する社会起業家30人をリストアップ。仕事の合間を縫って訪問し、「社会のために自分に何ができるか」を模索しました。電通の役員66人に社内改革の必要性を訴えたメールも一斉送信。周囲からは破天荒な行動に思われましたが、「とにかく自分が正しいと思う道を突き進みたかった」。

 そんな飛ぶ鳥を落とす勢いだった電通時代、エレベーターで、一人の男性と運命的な出会いをします。男性は静岡市内の企業で働いていました。二人は瞬く間に恋に落ち、出会って1カ月で結婚を決意したのです。