働く両親の姿をいつも近くで見ていた
日経DUAL編集部 秋田県横手市のご出身ですが、ご両親はどんなお仕事をされていたのですか?
雅姫さん(以下、敬称略) 父の職業は看板屋さん。文字を作るだけでなく、木を削ったりペンキを塗ったりと、アトリエで何でも作っていましたね。家に帰ってからも図面を書いたりして、いつもアイデアを練っているような人でした。母は、その父の仕事の事務をしていました。
―― では、物心ついたころから、お母さんも働いていたのですね?
雅姫 うちには住み込みで働いている従業員もいて、母は食事の面倒なども見ていたので、ものすごく忙しかったと思います。母はいつも私をおんぶしながら仕事を続けていたようです。2歳のときに保育園に入りました。周りの友達は2~3年保育の子が圧倒的に多く、4年保育のコースだった私は少し異色な存在。4年目のときは、友達のお稽古道具が新しくていいなーと思ったのを覚えています。でも、一番の古株で保育園の先生にかわいがられたという記憶もあります。
―― ご両親は自営業ということで、働いている姿を身近に見ていたのですね?
雅姫 小学校の高学年のときに家を建て替えるまで、両親の職場は居住スペースのすぐそばでした。家にはペンキの匂いがして、父の仕事姿をいつも見ていました。邪魔しないようにしよう、と子ども心に思いましたね。