会社の同僚とのいつもの飲み会。仕事のグチなど、たわいもない話をしながら盛り上がり、帰宅したら、部屋は真っ暗。そして、妻と1歳半の息子の姿がなくなっていた――。

 山崎光平さん(30歳・仮名)は、大手食品メーカーの研究職。2007年に新卒で入社し、現在7年目だ。同期入社の妻とは、内定者時代からの付き合い。いつも元気で明るく、周りまで笑顔にしてしまう温かい人柄に惹かれた。

 自分も彼女も、3人兄弟。お互いの家族のことを語り合う中で、自然と「私たちも子どもは3人ほしいね」と将来の話になった。そして、入社3年目で結婚。2年後には長男を授かった。

 実は、第一子の出産は計画通りだった。子どもが1歳を超えると、保育園の倍率がグンと上がるので、0歳児のうちに預けたい。でも、あまり月齢が低いと、親としては預けるのが心配だ。そこで、4~6月に生まれるよう、バースコントロールを行った。その結果、長男は4月に誕生。翌年の4月、11カ月のときに計画通りに保育園に入園させ、妻は職場復帰した。

 「私の定年から逆算し、子どもの進学する年なども考えながら、『子どもを3人作るなら、第1子はいつがいいか』を計算して臨んだんです。『保活』の情報もさんざん収集しましたね」

育児には積極的に参加しているつもりだったが

 何もかもが、計画通りに進んでいた。しかし…と山崎さんは振り返る。

 「育児には積極的に参加しているつもりでした。家にいるときはできるだけ子どもと触れ合うようにしていたし、土日には遊びにも連れて行きました。妻が1年間育児休暇を取っている間は、何のトラブルもなかったんです。でも、今振り返れば『やっているつもり』だっただけで、妻は当時からうっぷんがたまっていたと思うんです」

 妻の職場復帰に伴い、夫婦で話し合い、役割分担を決めた。子どもの朝の支度と食事の世話、そして保育園への送りは山崎さんの役目。仕事が早く終わった日は、入浴も担当する。土日はできるだけ、育児に参加する…。はずだった。