18時15分。他の園児たちが次々と降園していくのを横目に見ながら、ヒロミはため息をついた。長男のタクヤは来年小学校に上がるというのに、まだ自分で身支度がちゃんとできない。玄関まで来たものの「靴下を忘れた」と自分のクラスに取りに戻り、今度は靴が見当たらないと言って園庭まで探しに行ってしまい、なかなか戻ってこない。朝の支度も遅いし、毎日小言の連続だ。
その反面、タクヤの年子の妹のエミリは、前日の夜から自分の着る服をちゃんと枕元に用意するし、帰りは迎えに来た母親の顔を見た瞬間、さっと遊びをやめて靴下を履き、上着を羽織ってスタスタと玄関までやってくる。自分がついエミリばかり褒めてしまうのは無理もない、とヒロミは思った。
母親のうんざりした顔を見たエミリが「お兄ちゃんて、ホントにダメだよね」と問いかけてきたので、ヒロミは思わずドキリとしてしまった。これは私がタクヤに説教するときにいつも言っているセリフだ。まさかエミリまで真似するようになるとは。
泥だらけになった靴を抱えたタクヤがようやく玄関に戻ってきた。モタモタと靴を履くタクヤに、エミリが「お兄ちゃん、早くしなよ」と注意する。ジロリとエミリをにらみつけるタクヤ。ふたりともこんなに性格が違うから、きょうだいなのに全然仲が良くない。
妹にいいように言われるタクヤが少しふびんにもなったが、待たされたいら立ちが募り、ヒロミも思わず口に出してしまう。
「本当に早くしてよ、お兄ちゃんでしょ。もう、何度注意してもダメなんだから」
何かあるたびに「ひとりっ子だから」と思ってしまう
タクヤとエミリのきょうだいげんかを眺めながら、「うちのマサトもあれぐらいたくましく育ってくれたら」と、サトコは思う。
マサトはひとりっ子。マサトのいる年長クラスの男児数名が、おもちゃを取り合ってけんかになったと、さっき担任の先生から聞かされた。「でも、マサトくんはけんかが始まりそうになると、いつもすっと身を引いて、他のお友達に譲ってあげるんですよ」と先生は褒めてくれたつもりだったのだろうが、マサトが物事に執着するところをあまり見たことがない。
レストランに連れていっても食べたいものがなかなか決められないし、日曜日にどこかに行こうと誘っても「おうちで遊んでいるほうがいい」と言って、家でボンヤリしていることも多い。
競争相手がいないから自己主張が苦手なのだろうと納得する一方で、親に気を使って言いたいことが言えないだけではないのか、と心配もしている。
実は、サトコ自身がひとりっ子で、きょうだいがいる子を羨ましく思いながら育ってきた。公園で弟や妹と遊べたら。もっと話し相手がいたら。そう思いながら、親には何も言えなかった。
マサトのためにも、きょうだいがいたほうがいいのかもしれない。でも、自分の年齢や経済的なことを考えると、これ以上、子どもを産むことは考えられない。「ひとりっ子で寂しい思いをさせていたらごめんね」と思いながら、サトコはマサトの手を握って保育園を出た。
これは、保育園児の子どもを持つ、2組の共働きママの悩みを再現したショートストーリー。登場人物は架空だが「自分もこんなことを考えたことがある」「ママ友からこんな悩みを打ち明けられたことがある」など、どこか身に覚えのあるエピソードなのでは?