モンテッソーリ教育の第一人者で、その理論的な裏付けや子どもたちの実例から導き出された成果を広く発信してきた相良敦子先生が、2017年6月26日に逝去されました。日経DUALの「お手伝いする子は脳と心が伸びる!特集」では、子どもの感性と脳の発達が飛躍的に伸びる幼児期にお手伝いをすることの大切さや、日常生活を通して子どもを上手に導く親の関わり方について、DUAL家庭に向けた実践的なアドバイスを紹介。大きな反響を呼びました。

昨年6月に実施した日経DUAL羽生編集長との特別対談では、「残された人生は皆さんへのプレゼントに。誰かのお役に立てるなら」と、明るく朗らかな笑顔で、子どもたちが本来持つ力を真っすぐに伸ばす素晴らしさを毎回熱く語ってくださった相良先生。仕事に子育てにと奮闘するDUALファミリーに、エールを送ってくれました。連載第4回では、「逸脱した子が変わる」経験を自ら体験し救われたと相良先生が振り返るフランス留学中の挫折とモンテッソーリ教育との出合いについてお送りします。
※インタビューは2017年6月1日、16日の2回にわたり実施

【追悼 相良敦子 ひとりでするのを手伝って】連載
第1回 モンテッソーリ 就学前読み書き計算より大切な事
第2回 モンテッソーリ 子の逸脱を引き起こす5つのケース
第3回 モンテッソーリ 子どもが変わる8倍スローの手本
第4回 相良敦子 荒れた子が変わる原点を体験した渡仏期 ←今回はココ
第5回 共働き版モンテッソーリ 家庭でできる親の関わり
第6回 魔ではなく「宝」の2歳児 モンテッソーリの秩序感

神学の勉強で1960年に渡仏 壮麗な学問の体系に打ちのめされた

羽生編集長(以下、――) ここからは、先生のお話を中心にお聞きしたいんですが、先生は1960年にフランスへ行かれたのですよね。

相良敦子先生(以下、敬称略) 半世紀も昔、交通手段がまだ船が主流の時代で、35日間かけて行ったんですよ。

―― 幼児教育には、その前から携わっていらっしゃったんでしょうか。

相良 私がフランスへ行ったのは、日本がまだ高度経済成長に入る前のこと。実は、神学の勉強で渡仏したんです。フランスはカトリック社会が大きく変容する直前で、まだ今みたいに移民を受け入れるような多文化共生の時代ではなくて、きれいな世界の貴族のような文化で誇り高くてね。2000年を貫いてきた重厚な神学体系が粛々と語られ、神を語る言葉の体系が、華麗な言葉の殿堂のように存在していた。カトリックの私はただ感嘆し夢中になって学び続けたんです。でも、言葉の論理では語れないものがあり、ヨーロッパ文化やカトリック神学の優位性が支配していた当時のフランス社会では、その疑問を発する言葉を見つけることもできませんでした。周囲からは「強情」「柔軟性がない」というようなレッテルを貼られました。

 遠藤周作も、リヨン大学の神学部のことをよく書いていますよね。当時、遠藤周作の時代の空気が残っていましたけれど、もうね、2000年かけて構築されたキリスト教の神学の言葉の伝道ですよ。素晴らしい体系の世界なのです。で、遠藤周作はそれに潰されてしまったのね。私もそうだったんです。

―― 当時、相良先生はモンテッソーリ教育ではなく、神学の研究をされていらっしゃったのですね。ヨーロッパの素晴らしい神学の体系に潰されるとは?

相良 重厚な世界に対して、小さな私は手も足も出ないの。

―― なるほど、壮大過ぎてということですか。神の学問ですしね。

相良 私は本当に一生懸命やりましたけどね。日本で味わったことのない屈辱感というか、フランスの文化や学問の前に太刀打ちできなかったんです。

―― 当時のフランスは、日本人の留学生もほとんどいませんよね。

相良 私の意気込みや自信はめちゃくちゃになってしまい、「日本にはもう帰れない」と思った。日本ではそれこそまだプライドがあったけれど、プライドも何もかも全部なくなって。その時期、たくさんの日本人の留学生が自殺したんですよ。日本に持って帰るものは何もないし、こんなことは軽々しくは言えないけれど、日本に帰れば「帰りがけ、船の上から海に飛び降りて自殺するかもしれない…」。そう思わずにはいられないくらいの絶望感でしたね。